昭和五十四年八月二十日 朝の御理解
御理解第百節
「目出度目出度の若松さまよ枝も栄える葉も繁ると
云うではないか金光大神は子孫繁昌家繁昌の
道を教えるのぢゃ」
目出度目出度の若松様よ と 文字通りにそういうおかげを頂かれるのは本当に有難い事だと思うのですけれども、繁昌したかと思うとまた衰微かすると滅びると、もうそれが栄枯盛衰というのは
もう世のならわし、当たり前のように思うたり云うたりしておるわけですが、教組金光様はその祝い目出度と 云うような繁昌の、
親の代よりも子の代 子の代よりも孫の代 と、おかげの頂けれるその大元の信心、いわゆる、そういう道を教えるのぢゃ と、
こうおっしゃってるのだから、こちらも頂く、という気にならねばならない、ね、まあ恐らく金光教始まって以来 合楽でしょうねえ信心は簡単です 明瞭です、しかもおかげが確かです。ね、
合楽の先生はお道の信心は、嬉しう楽しう有難う
しかも愉快にまでなる道を説かれます。どうぞそういう有り難く嬉しう愉快になれれるようなお話を今から頂きましょう と、私が大阪に話しにいった時にサンケイホ-ルで司会をしてくださった先生が、そういうふうに云っておられますですね。
もう それこそ修業、もう大変な修業に修業を重ねて、という修業の事が 信心なんですけど、合楽の場合は何て いうですかね、
それがキャッチフレ-ズだけでなくて真実私はそう思うておるからそう云うのです。ね、簡単です、明瞭です、しかもおかげが確かです。そういう確かなおかげを頂ながら、ね、
おかげを頂いていくと どういう事になるかと、まず、
有難うなるです。嬉しうなるです、しかもそれが、ね、リズムが
生まれてくるようになると、もう愉快になってくるです。
私は祝い目出度い道というのは、そういう信心からしか生まれないとおもうです。ね、
これはもう恐らく金光教だけでも、合楽だけでしょう。
こういう表現を致しますのは、ところが私自身がそれを信じ実感しておるから そう云うのですから本当に親先生 金光教の信心ちは簡単ですね、明瞭ですね、と、確かにおかげが確かですよ、と
昨日は福山から団体参拝が御座いました。
参ってくるたんびんにもう それこそ愉快になるような お届けがいつも ございますが ね、
昨日もお参りをなさった方の中に、この前のお届けにもう こんなお届けはしてはいけない、と思うのですけれどね、そう、その人のオナラ が、臭くて臭くてたまらんと云うお届けがあったです。
もう周囲に居られん その人が、その人のオナラが出たら。
そりがもうお取り次を頂いて、ここで頂いた或る事を実行し出しましたら もう帰らせて頂いてから もうそれこそオナラの話ばってん それこそ もう本当にそりゃ何というですか、
涙をボロボロ流してから、お礼のお届けがございました。
先生が云われる、あの、金光様の御信心は もう実行する事以外にありません、と、この人は初めて、この前参って来た時に その、そういう不思議な ま、病気といえば病気でしょうね、もう医者やら薬ではどうにも出来ない、それが 日参、教聴、と いう事が耳に止まったんです。
だから合楽にお参りが出けんけれども これは日参しとるつもりでと御初穂を始めたんです。これはもう日参して教聴しとると思うておかげの泉を必ず読むことに その腹を決めて帰ったら、おかげ頂いた、というのです、もう一月になりますけど。
おかげを頂いてです、そんなに人に迷惑かけるような、臭いのが出らんと いうお届けでした。簡単でしょうが、
問題は その気になることです、ね、例えば此処は口癖のように
日参 教聴 心行 家業の行 ね、それを身につけて、いよいよ
合楽理念の実行さしてもろうて、ね、
日勝り 月勝り 年勝りのおかげを頂いて信心の真を現して、それが、代勝りのおかげともなる、今日の御理解がそうです。ね、
代勝りのおかげともなり しかもそれが、真 善 美 に輝く、ね貧争病のない世界に住まわれる事をめざして、の ですから信心が楽しうして、有り難いんです。
問題はその 一番始め腹を決めて行じよう、という気にならんからです、おかげにならんのです。簡単です。しかも水をかぶれ、火の行をせよ、と いうのぢゃないのです。
金光様、合楽の場合は、心行、家業の行です、しかも日参 教聴、そんなに日参 教聴、というても毎日 お参りできない、
成程 合楽の場合なんかは全国から集まってきますから出来ません宮崎あたりの人でも、やっぱそうです。
宮崎の人達がおかげを頂くのは、日参 教聴と思うて と いう信心が実行できてるから、おかげ受けるんです。ね、
私はこれは 日吉ツルという先生の御信心にヒントを得て この日参と、それは遠方から日参する事は出来ない、けれどもその、日吉ツル という人は大変な病気をもって居られて、人を助けて我助かれ と 初代の小倉の桂松平先生がおっしゃった。
それでお話を頂けば頂くほど有り難い、けれども まあ汽車がない時分ですから、あそこは芦屋ですかね、芦屋教会の初代です。
芦屋から小倉まで1日がかりで歩いてお参りになった。
それが毎日と いうわけにはいかんからお参りをしたつもりで二合半食べるご飯を一合五酌にして一合だけは必ず、日参のつもりで
お初穂を取られた。
それが一升たまった時が丁度十日目として それを楽しんで参られた。ね、そのお供えを一番始めに思いつかれて そうなさった時にです、成程信心は話を聞くばかりが能ではない。
我心で練り出せ と おっしゃるが神様に喜んで頂くような事が
パッ と ねり出せれる人ぢゃなからな駄目です。
聞いてからどん はじめたっちゃもうおそかです、本当は、
我心からも ねり出させてもろうて、ね、云ならばそういう事を
一心発起、実行の上に現す。
初めて その一升貯まったお米を持って参られた時に 桂先生が
そのお米を神様にお供えなさった、ね、
日吉ツル 真の信心になった、と 御裁伝があったそうです。
神様から直接のお言葉があったそうです。
だから 真の信心とは難しい事ぢゃないですよ、ね、
一心発起、それを実行する、行ずる、ね、だから私は遠方の方達がなら合楽 合楽と云うて毎日 日参して来る訳にはいきませんから、ね、日参させて頂いているつもりで、と いう信心をさしてもらい、そしてお参りして御理解を頂いて居るつもりで、おかげの泉を繰り返し読ませてもらう。読ましてもらえば読ましてもらう程、有難うなてくる、ね、かんたんです、と いうのはそういう事だと思うんです、ね、だから明瞭です という所になると御理解を頂いた上にも頂かなければ、明瞭になってこないです。
実は、 けど その 明瞭に段々なっていく。
と 云う事が楽しうなるです。信心が身についてくるから、血、肉になってくるから、いうならば踊りを踊る人の体のこなしが出来てくるように、信心させて頂いて明瞭に段々なってくると、
心のこなしが良くなるのです。自分の心も自由自在に有り難い、と云う答えを出す事がでけるんです。ね、
だから 日々が祝い目出度の若松様よ、という その家も栄える、葉も繁る、という そういうおかげになってくるのです。
神戸の細川さんが 今 勿体島の方へ帰っとります。もう 十日余り帰って来とるでしょうか、毎日三回、四回 参って見えます、ねすぐ 遠くにおるから仲仲お参りが出きん、
里に帰っておるときなっと、と云うて一生懸命参ってくる。
それが なら細川さんそして それこそ生き生きと ああまた参らんならん と云う顔ぢゃなかです、ああまた参って来たの ち 云感じです。それがもう楽しうしてこたえん と云うような感じですね、だからそういう信心を神戸に持って帰って そういう心持ちで日参のつもりで、という信心が出け、教聴さしてもらう御理解に取り組ませて頂くならばね、いよいよ それこそ信心はね、有り難く楽しいもんだ、と 云う事になってくるんじゃないでしょうか。
心がけ一つです、ね、だから心がけが悪ければ いつまでたっても何十年立っても、おかげにならんです。
これは若先生が学院に修業中にあちらでお話を致しております。
お父さん と云う題でその 話とるんですよね、まだ高校出てすぐでしたから、まあ幼稚な事です、幼稚な話ですけれども、そのう
お父さんの修業ぶり というものを見ておって、やはりそれについて行かずにはおれなかった、と云う様な事から始めてですね、
折角自分もお道の教師にならせてもらうなら、ね、やはり人が助かるような、お父さんの信心をそのまま受け継がれるような信心させて頂かなければ出来ない、ね、
椛目の時代 ご承知の方は道ひとえ前に、下は倉庫 上を二階にして勝彦の勉強部屋が出けとりました。
ですから もう夜も寝らずに修業をする、それを誰も知らんわけです。ね、いろいろと自分で工夫してみる。
だから本当に神様が御座るならば お知らせの一つ位は出来そうなもん と 云う所で修業を始めたけれども その 神様の声を聞くとかお知らせを頂く という事は出来なかった。
まあ悶悶とした日を、時を過ごしておる時に ある時親先生から呼ばれた。禰、「勝彦、あんたが信心を頂く、と 云う事はね、此処で云うならお父さんの話を一言でも聞いて実行する以外にはないよ只 どういう信心をさして頂いたなら というて そういうような例えば難しい修業を、ね、寝らん修業したり 食べん修業したりする、という事よりも、ね、此処でお話を頂く、教祖様のみ教えを ここでお父さんが いわゆる誰にでも分かるように説いておる、その事の一言でも良いから それを実行するより以外にはないよ」
と頂いて こういう御理解を下さった。
という、その御理解を話してるんです。昔ね、お釈迦様のお弟子に遮尼発(しゃにほつ)と、云うもうそれこそ 頭脳明晰 の、まあ今の言葉で云うと数学的には この人の右に出る者はなかろう、というように まあ頭の良い人であった。
来る日も来る日もその遮尼発がそれこそ腕 こまぬいて
まあ一生懸命に何かを考えとる風である。
段々憔忰してゆく模様が見えるから、ある時お釈迦さまは呼ばれた。で、遮尼発(しゃにほつ)ね、お前は何をそんなに悩んでおるのか、と、云いながらお釈迦さまが懐からハンカチを出された、ね、そしてそのハンカチをね、こうやって結ばれた。そしてそれを遮尼発の前に出された、ね、そしてこれを解いてみよと云うて 此処に出された。何気なしにそれを取ってから こう ほどいた。
又、出された、何回も何回も繰り返してるうちに、ゆはり、智 第一 と云われる遮尼発の事ですから翻然として悟ったと云うのですこれを見ておって 云ならばね、いかに どんなに素晴らしい考えが浮いてきたところで、これは ほどけはしない、これを、ほどくためには やはり、これを解くという。
解かなければこれがほどけまいが と 云うことがわかった」と 云う話を勝彦にしたんです。その話を学院でしているのをね、あの竹内先生 その話を聞かれてね、それをパンフレットにしてから
その当時の御大祭の時に皆さんに配られました。
お父さん と いう題でした。ね、
私、金光様の御信心はね、もう これはもう合楽だけでしょうけれども それこそ、ね、楽しう 嬉しう しかも愉快にまで なれれる道というても腕こまぬいております、参っとります、拝んどります、だけではそういう道は開けてはこん、本気で昨日 私がお取次さして頂いた福山の御信者ぢゃないけれども、一番素晴らしい事を感じて帰ったわけです、日参、教聴、ああ福山から此処まで日参は出けんけれども、それを日参として もし神様が受けて下さるならば、と それをはじめたんです。
教聴 と 云う事はいうならば教えを頂く、腹を決めて帰ったら
そういう いうならば難病、と、いうか ね、どうにも出来ない、という病気がもう おかげを頂いて一月たった今日 すっきりおかげを頂いておる、という、人にも迷惑かけんですむ、というようなおかげ、ね、教祖様は 嘘はおっしゃってない。
合楽の親先生は すらごつ いいなさらん、ね、
それを おかげが頂けん、と いうならばです、それこそ腕こまぬいて 只 参つとる、拝んどるだけぢゃ ないだろうか。
本気で それを実行しようと、例えば なら此処で、どげんきつかったっちゃ きつかち 云うなと私がもう腹決めたら きつなくなってくるです。本当なら、きつなってきたら、まあだ心の底に
きついという、そのことが言葉に出さんでん、心でいいよる、という、事になるわけです、
そして段々わかってきて それが修業である、という事がわかったらです、ね、その修業に対する御礼が云えれるような信心を、
いよいよ 身につけていきたいです、ね、
私は、信心はもうその気になれば いわば 祝い目出度の若松様よ枝も栄える葉も繁る、という その元は自分の心の中に目出度い、という心が起こってくる事です。
おかげは、和賀心、という賀の心はね、祝い喜ぶ心、と教祖は
おっしゃっておられるです。ね、
その祝い喜ぶ、おめでとうございまあす、と云えるような心なんです。ね、そういう心で信心して、いうならば子孫繁昌、家繁昌の、もとが頂けれるような お徳も受けて、ね、
教祖様は 嘘はおっしゃっていない、という実証をしていきたいと思います。私の代だけぢゃない、
子供にも孫にも それが いよいよ伝わっていくような信心を頂きたい。それは決して、いわば信心はもう容易いものぢゃが 氏子から、むつかしゅうする、というようなね、
今日皆さんに聞いて頂いたような生き方を、身に付けられるなら です、本当に信心が好きになったらです、
それこそ日に三回でも四回でもお参りさせて頂いてそれが、もう
楽しうしてこたえんような信心が育ってくるんです、ね、
そういう信心を土台として はじめて 家繁昌、子孫繁昌の道というものが ひらけてくるんぢゃないでしょうか、
いや ひらけてくるんです。
「どうぞ」